海の岸に座る女性

他人に欠点を指摘される時、対岸から話をされるのはとてもしんどい。

考えごと

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僕は割と抜け作なところがあって、物はしょっちゅう失くすし、大事な用事を忘れてたりするし、家の鍵をかけ忘れてたり、鍋を火にかけっぱなしだったり。

もう30超えましたけれども、これまでまぁ色んな人に指摘されてきました。

僕自身もとても困っていて、カウンセリングを受けたこともあるんですよ。なんかの記憶系の病気なんじゃないかって心配したこともあります。

曰く、仮想記憶の部分がとても脆弱らしく、PCでいうメモリの部分ですね。例えば何か作業をしていて、ちょっと置いておいて別のことを……ってした時に、“置いておける用量”がとても小さいんだそうです。

そうと分かると鍛えるしかないんですけど、はてさてどう鍛えたものか。自分でも「このままではいかん」と分かってはいるんですが、一朝一夕でどうにかなるものなら苦労してないってね。

で、今日はですね。他人に欠点を指摘する時の態度について。

指摘されまくりーの、指摘しまくりーのした経験から、他人に欠点を指摘する時はどう言えば聞いてもらえるのか、逆にどうしたら怒らせるのか。そんなような話をしていこうと思います。

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最大の違いは対岸にいるかどうか

欠点を指摘する時に“素直に聞き入れやすいかどうか”の一番の境目は、対岸にいて“人”を見ているか、それとも同じ岸に立って“問題”を見ているかの差だと思います。

俗にいう、「上から目線」と「横から目線」っていうヤツですね。

対岸からする指摘には「自分には関係ない」というニュアンスが含まれます。「なんでそんなこともできないの?」とか、「何とかしてもらわないと困る」とか。

「なんでそんな当たり前のことができないの?」って、それは僕も知りたいです。

「何とかしてもらわないと困る」って、僕も困ってます。ってね。

言われたくないですよ。そんなこと。「なんでそんな当たり前のことができないの?」なんて、しんどい言葉は聞きたくないですもん。

できるようになりたいけど、どうすればできるようになるのか分からないから困ってるんですよね。お互いに。

結果、お互いに余裕がなくなって「よろしい。ならば戦争だ。」っていうことになりかねません。

人間を問題にしても具体的な解決策が出てくるわけじゃありませんから、感情の方ばっかりを刺激することになってしまって、あんまり良いことにはなりません。

部下は辞めるし、息子はグレるし、恋人とは険悪になるし、友達とは疎遠になります。

理想は、同じ岸に立って問題を見る指摘

じゃあどうすれば良いのかというと、人間を問題にしないこと。その人と同じ岸に立って、同じ目線で“問題”を見る指摘の仕方が理想です。

具体的には、そうですね……。

例えば、どうしても遅刻グセが治らない人がいたとします。

本人も遅刻して「ヤベェ!」って思ってるんですよ。「もう二度としないようにしよう」と。それでもしてしまうのがクセってもんで、全くもって厄介ですね。

で、上司の人にこう言われます。

「なんで何回言っても治らないんだ。社会人としての常識が欠けている。」

正論ですね。でも、これを言ったところで遅刻してくるという“問題”は解決しません。だって“何回言っても治らないんだ”から言っても無駄ってことですよね。

つまり、指摘の方法が間違っているってことです。“何回言っても治らないんだ”ったら、別の方法を試してみるしかない。

誰だって「なんで何回いっても治らないんだ」とか「社会人としての常識が欠けている」とか、言われたくないですよ。「遅刻して困らせてやれ!」なんて思って遅刻してくる人なんかいません。

問題を解決するには、「なぜ遅刻するのか?」という問題に焦点を当てる必要があります。責めたって何も解決しません。それで解決するなら、1回言えば解決しているはずですからね。

多分、僕ならこう言います。

「どうして遅刻するんだろうね?朝は起きるのしんどいもんなぁ。結構夜更かしとかしてる?」

みたいな感じ。

んで、調べます。遅刻がクセになってしまう人の心理状態とか、健康や生活の状態とか、もろもろ調べます。

調べたら何かしらの解決策が出てくるので、本人の状態と照らし合わせて解決策を探し、提案します。

長いこと昼夜逆転生活をしていて睡眠障害なのかもしれないし、寝方が悪くて睡眠の質が低いのかもしれないし、食生活に問題があるのかも。あるいは心理的な不安が問題だったりする場合もあると思います。

「なんで治らないんだ?」ってことを一緒に考えます。

とは言っても、人にはそれぞれのキャパがありますからね。

仕事に追われて、家庭での悩みなんかあった日には、遅刻ぐらい自分で何とかしろと、そんな事まで世話してやる義理はないと。そう考えてしまうのもせんなき事。

まぁこれは指摘の仕方の一例ですから、「社員の遅刻で業務に支障が出る問題の解決に取り組む」のか、「感情に任せてシワ寄せを食らった文句を言うだけ」なのか、「“人のことは人のこと”と割り切って適当にしておくのか」は、別の問題ということで。

自分を傷つける人ほど、他人を対岸から指摘する

「他人の欠点ばかり指摘する人はコンプレックスの塊だ」っていう言葉がありますね。

コンプレックスがなくても指摘が必要な場合もあるので、僕は一概には言えないんじゃないかと思いますが、一理あるとも思っています。

というのも、人って、他人の欠点を指摘する時は、自分を傷つける時と同じやり方をするからです。

他人は自分の鏡と言いますが、他人への態度って、普段の自分への態度ととても似ています。

「自分はどうしてこんなことも出来ないんだ」「自分はダメな人間だ」

何か上手く行かないことがあった時にそうやって自分を責める人は、他人にも同じ言葉を投げかけます。

「お前はどうしてこんなことも出来ないんだ」「お前はダメな人間だ」

まぁ、他人ですから、「ダメな人間だ」なんて直接的な言葉は選ばないと思いますけれども。

いずれにしても、人が他人に接する時は、自分に相対する時の態度に似通ってくるものです。

ひいては、その人自身も親から、先生から、上司から、そうやって欠点を指摘されて来たんだと思います。

そうした連鎖が、今日の「どうしてこんなことも出来ないんだ」という言葉に繋がっていると思うと、しかもそれが「良かれと思って」のことだったりしますから、いとギルティですね。

対岸から指摘された人はどうなるのか

問題の解決は=変化。人は変化を起こそうとするとき、とてつもないエネルギーを消費します。

問題の解決には、具体的な方法論が必要です。勉強して、方法を探して、試していく作業って、そりゃあもう大変な作業ですよ。

ですが、感情に任せて文句を言われるだけの指摘のされ方をすると、そのストレスとエネルギーが相殺し合って消えてなくなります。

とてもじゃないですが、変化を起こすだけのエネルギーが残っていない。そうすると、また同じミスをしますから、当然また指摘される。

そんでまたエネルギーを消費して、さて、変化を起こすためのエネルギーはいつ用意すれば良いのか?ってことになります。

結局、その場にいてはとてもじゃない用意できませんから、仕事は辞めるし、恋人とは別れるし、息子はグレるし、友達とは疎遠になる。

仕事を辞めるなんて社会人として……と考えてしまう真面目な人は、鬱になるでしょうね。

みんなが出来るからって、その人に出来るとは限らない。出来ないことを出来るようになるには、すごいエネルギーが必要。

それが自分にとってどんなに簡単に思えることであってもです。

だから、人を問題にしないってことがめちゃくちゃ重要。問題は問題であって、その人そのものではありません。

そういう意識を持てるかどうかが、対岸に立つか、同じ岸に立てるかの差を生むのだと思います。

まとめ

さて、ここまで「理想的な指摘の仕方」についての話をしてきました。

他人に指摘をする時は、対岸から人を見るのではなく、同じ岸から問題をみる。これは、僕自身が他人に指摘をする時に一番注意していることです。

でも人間関係ですから、一筋縄ではいかないのがしんどいところですよね。こっちが余裕を失くしていると、自戒を忘れてついつい対岸に陣取り、その人自身を問題として責め立ててしまうことはままあります。

僕自身も、そうやって指摘を受けてきました。呪いのようなものですね。

被害者になるのは簡単ですが、できる限りこの連鎖を断ち切りたいと思います。

僕の周りの大事な人には、「なんでこんな当たり前のことが出来ないんだ」なんて毒にしかならない言葉で、他人の欠点を指摘するようなことをして欲しくないですから。

できる限り同じ岸に立って、その人が相対している問題に一緒に取り組むような。いつでもどこでも、余裕がない時こそ、そういう付き合い方ができるような人間になりたいものです。

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