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折角生きてるんだからこんな人でありたい。102歳現役写真家・笹本恒子の人生

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102歳にして現役の写真家・笹本恒子さん。先日、米国の権威ある賞である「ルーシー賞」を受賞したことでも話題になりました。「後に続く人の励みになれば」と語る笹本さん。彼女の人生や考え方を知ると、人間としての在り方の様なものを考えさせられます。

今回は、写真家・笹本恒子の人生と、ルーシー賞ってどんな賞なのか?と言うことに少し踏み込んで書いてみました。

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笹本恒子さんの経歴まとめ 戦前~現在まで

笹本さんは高等専門学校の家政科に通っていましたが、絵の勉強のために中退しています。1930年代頃の事です。男尊女卑の世の中に加えて、日本はまさに富国強兵の時代でした。当時の世間体というものがどういう雰囲気だったかは、想像に難くありません。

そんな時代の中で洋裁学校に通うかたわら、絵の勉強のために父親に内緒で絵の研究所に通い始めます。まだまだ女性が自由に道を選ぶことが非とされていた時代ですから、笹本さんがどれだけ絵を描くことに惹かれていたかが伝わってきます。

日本初の女性写真家に

笹本恒子
その後、女性の報道写真家なんて存在しなかったころから、新聞社(現在の毎日新聞)の挿絵のアルバイトを経て、1940年に日本初の女性報道写真家となります。当時は日本での授賞式、授与式などを海外に写真で伝える仕事をしていましたが、兄の猛反対にあったことと病気が原因でわずか1年で退職することになりました。

今の時代で“日本初の女性報道写真家”と言われると栄誉なことに感じられますが、当時はそれが恥と思われるほどに女性の活躍が難しかった時代です。

同年、1941年9月に結婚し、それから終戦までは写真家として活動することはありませんでした。

終戦後~

終戦後に復帰。自身の体験を重ねてか、国内の女性の話題や事件を積極的に扱いました。当時の事を、笹本さんはこう振り返っています。

「参政権がなかったり、妻にだけ姦通(かんつう)罪が適用されたりと、明治の女性は冷遇されていた。絵描きや小説家としてきちんと仕事をしていた女性の姿を残せるのは、私しかいない。なんとしてもやらなければと思った

笹本恒子さん、米「ルーシー賞」受賞 「後に続く人への励みに」 - 産経ニュース より引用

しかし、活動の場としていた写真誌が立て続けに廃刊となり、活動休止を余儀なくされました。女性が世間に出ることに対して、世間の風当たりはまだまだ強かったのかもしれません。

その後約20年間、笹本さんが表舞台に立つことはありませんでした。この20年は、写真家としては空白の20年間になっていますが、活動をしていなかったわけではありません。40代の終わり頃からオーダー服のサロンを開いたり、フラワーアレンジメントの仕事をしたり、本を出したりと、表現の幅を広げつつ積極的に活動されています。

1985年、71歳の時に写真家として復帰。現在102歳でもまだまだ現役。「生きているうちは何でもやらなければもったいない。欲がなくっちゃ。」と笹本さんは語ります。

2001年第16回ダイヤモンドレディー賞、2011年吉川英治文化賞、2014年第43回ベストドレッサー賞・特別賞受賞など、様々な分野で栄誉ある賞を受賞し、2016年には米国のルーシー賞を受賞。102歳にして世界に認められた女性写真家となりました。

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ルーシー賞とは

2003年に創設され、“写真界のアカデミー賞”とも呼ばれる米国のルーシー賞。授賞式の様子もアカデミー賞さながらで、毎年世界的に著名な業界関係者がドレスコードに身を包み一堂に会する大変権威のある賞です。

日本ではあまり知られていませんが、アカデミー賞同様にノミネートされただけでも大変な栄誉とされていて、それを日本の女性が受賞したということは写真史に残る大事件でした。

笹本さんが受賞したのはライフタイム・アチーブメント部門賞。「厳しい時代を、自立心を持って生き抜いた女性を写し出した」ことが評価されての受賞でした。

写真は絵画や映画よりも歴史が浅く、(というのも、“写すだけのもの”から“芸術”と捉えられるようになるまで長い時間がかかった)こうした賞が設けられるようになったのも最近の話です。

笹本さんは主に1920年~1960年の「報道写真こそ至高」と呼ばれた時代に活動した写真家です。それ以降「写真の持つ可能性が多様化していった時代」の過渡期を迎え、現在の写真はコンセプトがより重要とされる時代になっています。1つの作品よりもその背景まで含めた「その写真のあり方」が重要視される傾向にあります。

笹本さんは現在もバリバリ現役で作品を次々と発表し続けていますが、「厳しい時代を、自立心を持って生き抜いた女性を写し出した」という評価は、報道写真時代の功績を称えてのことなんだと思います。

「報道写真こそ至高」と言われた時代の活動が「コンセプトが重要」とされる時代に評価されるのも面白い話です。笹本さんがどれだけの信念と情熱を持って活動していたのかがよく感じられます。

まとめ

活動意欲が落ちている時、私たちは無意識に出来ない理由を探します。「興味がないから」「やる意味がないから」「どうせ出来ないから」そんな時は、心がマイナスのイメージに取りつかれている時です。

マイナスのイメージは私たちを消極的にし、積み重ねれば叶ったはずの夢を奪います。現実から目を背けさせ、その場かぎりの一瞬の逃避に誘います。やれば出来たはずの事をおざなりにしたことに罪悪感が膨らんでいき、どんどん体は重くなっていきます。

笹本恒子という人は、やらない理由を置き去りにしていつも積極的に活動をしてきました。紆余曲折はあったと思いますが、折れることなく好奇心を捨てず貪欲に何でもやってきた結果が、世界に認められることになったんだと思います。

写真家ではなくても、彼女の次の世代を生きる一人の人間として、笹本さんの「後に続く人」になりたいものです。

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