高野孝子さんの笑顔の写真

【世界初無動力北極海横断】女性冒険家・高野孝子の人生を変えた冒険を体験

時事ネタ

更新日:

無動力での北極海横断に世界で初めて成功した冒険家。世界初の女性冒険家じゃないですからね。文字通り“世界初の冒険家”です。

「世界初無動力北極海横断に成功」の字面だけ見ても「すごい!」と思いますが、一体どれだけ凄いことなのか?北極海がどんなところなのか?ということをイメージしやすくまとめています。

その後の高野孝子さんは教育関係の活動に力を入れていて、その中でもECOPLUSの活動が特に面白そうでした。早稲田大学教授の肩書とは別に、ECOPLUSの中でやりたいことを自由にやっている感じがします。

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高野孝子さんのプロフィール紹介

山をバックに写る高野孝子さん

名前:高野孝子(たかのたかこ)
生年月日:1963年3月30日
年齢:53歳
出身地:新潟県
出身大学:早稲田大学、ケンブリッジ大学、エジンバラ大学

1986年に早稲田大学第一文学部を卒業し、そのままバックパッカーとして世界中を旅してまわります。この時の経験が、後の人生に大きな影響を与えます。

その二年後に早稲田大学大学院政治学研究科修士課程を修了後、ジャパンタイムズに編集局記者として入社しました。

元々は記者だったんですね。ジャパンタイムズは、1897年創刊の日本最古の英字新聞社。1986年と言えば、まだまだ今ほど世界が身近じゃなかったころです。スマホどころか、携帯電話もなかった時代です。英語を喋れる人も今より断然少なかったでしょうし、納得の就職先。

これ、ジャパンタイムズの紙面です。

ジャパンタイムズの紙面

それから幾度かの冒険を経て、10年後の1995年、今から22年前に世界初の北極海無動力横断を成功させます。

1990年 - エルブルス山脈にて高所トレーニング。
1991年 - 厳冬期のソ連極東地方冒険行でベーリング海峡を横断。
     北極点へパラシュートジャンプ(ソ連空軍の救助演習に参加)
1992年 - エコクラブ(環境教育NGO)を設立してヤップ島プログラムを開始。
     サンディエゴ~サンフランシスコ間で帆船航海(日本初の民間セイルトレーニングシップ「海星」)
     南極大陸東部へ(ロシア砕氷船)
1993年 - サバイバルレース「レイド・ゴロワーズ」参加(マダガスカル島)
1994年 - ワールドスクールネットワークを設立。
     カナダ北極圏にて犬ぞりとカヌースレッドの旅(5ヶ国6名のチーム)
1995年 - 4ヶ国5名のチームでロシア側から入る北極海無動力横断を成功(世界初)

高野孝子 - Wikipedia より引用

他の冒険もすごいですが、やはり北極海無動力横断が群を抜いてます。一体どんな旅だったんでしょうか。

北極海無動力横断の凄さを分かりやすく解説

4ヶ国5名のチームでカナダ - ロシア間を無動力で横断に成功。すごい。ホントすごい。でもどれぐらい凄いことかと言われると、みんないまいちピンと来こないみたいです。

どれだけの規模の冒険だったかは、地球を見ると分かりやすいです。つまりこういうこと。

2007年の北極海の絵で横断を図解

写真は2007年のもの。温暖化の影響でかなり氷薄いですが、1980年代はもっと真っ白でした。このルートをスキー、犬ぞり、カヌーで横断したんです。

写真では真っ白で美しい世界がよく映し出されていますが、どこまでも氷、どこまでも海。

薄氷の北極

この写真なんか、北極海の絶望的な広さが良く分かると思います。こんなところを横断しろって言われたら、それはもう死刑宣告と同じです。

広さもさることながら、やはり危険なのは気温。北極海の気温はマイナス-50℃~-70℃です。-50℃の世界はどんなことが起こるのかをいくつかピックアップしてきました。

  • ペットボトルから注ぐ水が一瞬で凍っていく
  • ダイヤモンドダスト※が見える
  • ライトピラー※が起こる
  • まつげやひげに霜が付く
  • バナナでくぎが打てるようになる
  • シャボン玉が凍る
  • 濡れタオルを振ると「一瞬」で凍る
  • 顔の表面に霜が付く
  • 沸騰したお湯をまくと一瞬で雲になる
  • ナイアガラの滝が凍る
  • 吐いた息の水蒸気が凍る
  • 星のささやき※がおこる
※ライトピラー
寒い地域で極まれに起こる光の柱が立つ現象です。北極海では自分たちの他には太陽の光しかないので、太陽柱と呼ばれる現象が起こります。

街中でのライトピラーの写真

太陽で起こったライトピラー現象の写真

ダイアモンドダスト
大気中の水蒸気でできたすごく細かい氷の結晶が降る現象です。氷点下10度以下で見られます。
ダイアモンドダストの写真

※星のささやき
吐いた息が凍る時に、かすかにサラサラと音が鳴るそうです。この現象を「星のささやき」と言います。一体どんな世界なのか、想像がつきませんね。

もはや同じ地球かどうかが怪しくなってきました。そんな北極海を、たった五人で横断したんです。一体どれほど果てしない挑戦だったか。

なぜこんなたいへんで死にそうな冒険をするのか、誰もが疑問に思うところです。単独で、徒歩で、しかも無補給で北極点到達に挑戦し続けている冒険家の荻田泰永氏曰く、「たいへんで死にそうだからやる」とのこと。

高野孝子さんはさすがにそこまでの変態(褒めてる)ではないみたいですが、冒険は経験した人だけが魅了される何かがあるんでしょうね。

現在運営している「ECOPULS」が面白そう

この前人未到の大冒険以来、冒険とは少し距離を置いて、勉強と教育の方に力を入れています。経歴は見ての通り。

2000年 - ケンブリッジ大学大学院地理学部「環境と開発」修士号を習得。
     エジンバラ大学教育学部博士課程(環境教育・野外教育セクション)修了。
2002年 - 社会貢献活動と未来の地球のために活動する女性に贈られる「オメガアワード2002」を受賞(7名)
2003年 - 特定非営利活動法人ECOPLUSを設立。
2005年 - エジンバラ大学大学院教育学博士課程(野外・環境教育専攻)修了。
2006年 - 早稲田大学WAVOC客員准教授に就任。
2007年 - TAPPO南魚沼やまとくらしの学校(南魚沼市栃窪[1]・清水[2]・後山)の事業を開始。[3] 2010年 - 立教大学異文化コミュニケーション学科特任教授に就任。
2011年 - 早稲田大学WAVOC客員教授。
2012年 - 2月9日、南魚沼市地球温暖化対策地域協議会 会長に就任。
2013年 - 早稲田大学留学センター教授。

高野孝子 - Wikipedia より引用

大学での教育を中心に地域の活動にも積極的に参加しています。その中でも、ECOPLUSという団体の活動がかなり面白そうだったので、少し詳しく紹介しますね。

ECOPLUSの理念は
「自然環境で自己を試し、生命のつながりを感じること」
「異文化や地域社会で新たなもの異なるものを理解し、尊重する姿勢を培うこと」

高野孝子さんはちょっと試し過ぎですけどね……。

「冒険は経験した人だけが魅了される何か」じゃないですが、死を賭した冒険の中に“生きてる!!”っていう感じがあったんだろうと思います。

僕にも軽くですが経験があります。“生きてる!!”っていう感じ、“生命の繋がり”、そういうのを感じるとなんとも言えない深い滲み出るような安心感と、とてつもないバイタリティが沸いてきます。

「ヤップ島プログラム」でパラダイムシフトを体験

ECOPLUSは、おそらくですが“自身の冒険を通して学んだことを、たくさんの人に体験してもらいたい”という高野孝子さんの強い思いが反映された特定非営利活動法人です。

公式サイトで紹介されている内容は、小学生を集めてキャンプをしてみたり、WEE(早稲田サマーセッション)と題して世界中の学生を日本の大学にぶち込んでみたり、地元の農業の収穫祭に参加してみたりと活動内容は様々。

中でも特に面白そうなのが、「ヤップ島プログラム」というサバイバル企画。毎年10数人の参加者と共にヤップ島という島に滞在します。場所はこの辺↓↓

ヤップ島の地図

文明ほぼなし!ヤップ島の生活に魅了される若者

グアムにほど近いこの島では、先住民族が男性はふんどし、女性は腰巻で静かに暮らしています。一時的にですが、日本の統治下になったこともあるんですよ。

電話はもちろん、テレビもありません。ボチボチ観光客が訪れるようで、一応ホテルはあります。観光では近隣の島を日帰りで行き来することもできます。その中のひとつであるモグモグ島は、「世界ウルルン滞在記」で紹介されてからローカルな生活をしたい若い日本人が度々訪れるようになったんだとか。

海外のものですが、ヤップ島の人たちが竹の棒でダンスをしている動画を見つけたので貼っておきますね。

「ヤップ島プログラム」の参加者は首都圏からきた若い人が多く、これまで知らない自然や文化の中にどっぷりと浸かってみたいとかこれから就職など、実社会でどう生きていくか考える時に、幸せとか豊かさとかを根っこから考えてみたいという動機で、みんな遥か遠くの島での生活を楽しみにしているみたいです。

旦那さんもヤップ島にゾッコン

ちなみに、ECOPLUSでは旦那さんの大前純一氏がECOPULSの事務局長を務めておられます。

朝日新聞のネットメディア「asahi.com」の立ち上げに際し中心的な役割を果たした人物であるにもかかわらず、25年間務めた朝日新聞を辞めて、ECOPLUSの活動に従事しているんだとか。

よっぽどすごいパラダイムシフトが起こったんでしょうね。25年も築いてきたキャリアを捨ててまでこだわる「異文化交流」ヤップ島プログラム。めちゃくちゃ面白そう。

まとめ

バックパッカーは1980年代に流行りました。ちょうど高野孝子さんが旅をしていた時代です。

現代の自分探しみたいなものでしょうか。現地の人と交流し「本物」を探すことが目的だったと言われています。しかし、あまりにも数が多かったため、他のバックパッカーとの交流が目的になってしまっていたり、現地の在り方そのものを変えてしまっているという批判もありました。

高野孝子さんは、多分「本物」を見つけ出せた人なんだと思います。そんな人がプロデュースする旅はきっと面白い。

もう教育を受ける歳でもないですけど、人生はいつまで経っても勉強ですからね。「ヤップ島プログラム」、いつか参加できたら良いなぁ。

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