【NieR:Automata/ニーア・オートマタ】クリア後、ストーリーの解釈と感想をネタバレMAXで

NieR:Automata タイトル

今更ながら「NieR:Automata」をプレイしました。ずっと気になっていたんですけどね。オンラインに忙しくて、久しぶりのオフゲーです。

とりあえずA~Eまでのエンディングを全部見たので、感想。考察を交えながらネタバレMAXで書いてきます。

世界観やら何やらの細かい考察は、他に記事がたくさんあるのでそちらを参考にしていただくとして、このエントリーは、こんなことを考えながらプレイしたっていう極々個人的な内容。飽くまで、「NieR:Automata」の世界を旅して僕が感じたことの一端です。

ストーリーの解釈のひとつとして参考にしていただければ。一緒にニーアの世界の深みを楽しみましょう。

Sponsored Link

テーマは「存在意義」

言うまでもなくこの物語の大きなテーマは「存在意義」なわけですが、登場人物の誰もが何かに依存して苦しんでいました。

機械生命体は、パスカルのように「戦わない」と決めた個体がいたり、「戦わなければ存在意義がない」ということに悩む個体がいたり。

対するアンドロイドは、ヨルハ計画によって「存在意義」を自分たちで偽造することで考えるのをやめていました。その象徴となったのがヨルハ部隊です。

2Bは、9Sを監視・殺害することを存在意義としながら、9Sの存在に支えられている矛盾に苦しんでいました。

9Sは、2Bを大切に思う気持ちが自分の存在意義となっていく一方で、残酷な真実はそのことを許してはくれませんでした。

いやしかしなんとも壮大なテーマをぶち上げたもので。

製作側の視点から見ると、作品のテーマって具体的なほど作りやすいんですよ。

ふんわりしたものほど抽象的になって、深みを出すには大量の知識と組み立てる経験が必要になります。細部を詰めようとするほど悩むことが多くなるんですよね。

なのに「NieR:Automata」は壮大なテーマにちゃんと芯があって、調べれば調べるほど面白い。ヨコオすごい(語彙力)。

機械が人格を獲得する物語

「NieR:Automata」は、人間のいなくなった後の世界で機械たちが人間を模倣し、人格を獲得していこうと模索しています。

「人格」とは、“独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。”をいいます。

A2の性格設定を踏襲した2Bは、本来優しく臆病な性格です。だから“9Sを監視する”という指令も“見守る”って感じになっちゃったんでしょうね。つら……。

9Sは孤独から“関わり”を求めました。「周囲の人を大切にしたい」「親しくなりたい」という9Sのあり方にとって、ヨルハ計画は残酷なものでしたね。

もともと優しい性格だったA2は、仲間を失った辛さが司令部や機械生命体への恨みへと裏返り、通り魔みたいになってますし。

なんでそんな辛いことになってしまうのかというと、機械生命体もアンドロイドも「個」という概念を全く認めないんですよね。

機械生命体は戦闘進化を第一に、アンドロイドは自身の存在意義を第一に。

どちらも生と死をも繰り返せる曖昧な存在ですから、その個体が「何を思って、何を考え、なぜ行動を起こすのか」ってことがあまり重要視されません。

でも、「人格形成」に一番重要なのって、やっぱそこだと思うんです。

そこが丸無視されるから、どうやっても絶望しかない。つら。

思えば、現代社会も同じような問題に直面しています。

子供、学生、社会人、母親、父親、上司、部下、先生、先輩、彼氏、彼女、嫁、旦那、各々に「役割」を持つことで僕らは“社会性”を獲得しますが、度々
、個人が役割に押しつぶされてしまう場面を、誰もが何度も目にしてきたのではないでしょうか。

Sponsored Link

人格と存在意義

僕は、「人格」と「存在意義」は同じものだと思っています。

「人格」を表すのは、目の前のものに対して“どうあるか”という態度です。

今、目の前にあるのは、障害であったり、感情であったり、あるいは愛する人であったりするでしょう。そういう場面で、“どうあるか”がその人の人格を表現します。

そのあり方は「意志」に基づき、「目的」を定め、「結果」を出して、そうして「人格」は成長していきます。

ですが、機械生命体もアンドロイドも「目的・結果」を第一にしてしまい、個々の「意志」を全く持ってないんです。

果たして、組織というのは往々にして“そういうもの”ではありますが、個々の「意志」が集まっていない組織がどれほど空しいものか

だからみんな「存在意義」に悩み苦しんでいるんでしょうね。

機械生命体側は「戦闘経験・進化」、アンドロイド側は「人類復興・計画の進行」。もうエイリアンも人類もいないのにね。

個性を持った個体の登場

そんな中、機械生命体の中に「意志」を持つに至った個体が現れはじめます。

パスカルは、仲間たちを守りたい、平和に暮らしたいという「意志」を持って、勉強したり、教えたりしながら村という文化を形勢・維持するために動いています。

森の王はパスカルと同じような思いで国民にパーツを分け与え、森に平和な国を築こうとします。

好きな人の気を引くために美しくなろうとしたアレとか、動物たちを守ろうと動物になった機械生命体とか。

一方、アンドロイド側はどうあっても個々の「意志」を無視し続けます。悪意とかそういうんじゃなくて、それ以外の在り方を知らなかったんでしょうね。

2Bは「助けて」と叫びながらも9Sを殺し続けますし、9Sは2Bの苦しみを想いながらも殺され続けます。

辛くて辛くてどうしようもないけど、それ以上にお互いの特別でいたかったんだと思うと切なすぎる……。

Eエンドの後の世界

Eエンド後、2B、9S、A2の3機は、ポッドによって復元されて再起動しています。

機械生命体本体のネットワークである「N2」は箱舟でお空へ。

ヨルハ部隊ほぼ壊滅の上にエンディングのポッドのデータ消去があったのでもう残ってないと思います。

残った機械生命体とアンドロイドは、それからも色々あったみたいです。

機械生命体と人類軍との間に和平協定が結ばれたり、機械生命体の中に身分が生まれたり、内部分裂したり。

約500年後に黒い服のアンドロイドが目撃されたという記述もありーの。

それぞれの理由を持って戦っているんでしょうね。

年表には、500年後に黒い服のアンドロイドが目撃されたという話も。

「未来は掴み取るもの」

Eエンドでのポッドの言葉が、この作品のテーマにひとつの答えを出していました。

設定ではなく、命令ではなく、不安や恐怖に押し流されるのではなく、自分自身で決断して為したことにこそ、“生きる意味”がある。

意志のない不毛な戦いの果てに「生きる」ということを初めて体現したのは、作中で最も機械らしいポッド042と153だったというのは皮肉な話です。

ヨルハという絶対の枷がなくなったからといって、2Bと9Sは殺し合う以外の関係を見つけられるでしょうか。

“誰かの特別でありたいという感情”を憎悪に膨れ上がらせてまで大切にしていた9Sを見ていると、なんだか暗雲立ち込める思いです。

彼らがお互いに抱く特別な感情が「依存」ではなく、「愛」であることを祈るばかりであります。

総評:自分で決めて、自分でやらんと上手くいかない

今回はニーアの世界を「存在意義」という大きなテーマに沿って解釈していきました。

話が逸れそうになるのを必死にまとめながら、なんとかここまで漕ぎつけましたが、テーマがテーマだけにどうにもふんわり。

結局何が言いたいかっていうと、自分の足で立ってなきゃダメだよねってことです。

アンドロイドを殲滅するためにとか、人類を守るためにとか、感情に流されたり、誰かに何かに決められた動機では、自分の存在は証明できません。

ニーアをプレイしている間、自分の意志で決めたことじゃないと、良い結果って生まれないんだろうなと、強く感じさせられました。何度も。

ってなると「感情と心と意志の違い」みたいな話になってややこしくなるんですけど、その話はまたいずれ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です